top of page

蒔絵の歴史!漆の加飾である蒔絵を時代ごとに解説


漆器の加飾でなくてはならない技法の1つ蒔絵。 蒔絵の歴史は奈良時代がはじまりとされています。今回はそんな蒔絵が現代まで受け継がれてきた歴史についてご紹介します。


蒔絵のはじまりは奈良時代

日本最古の蒔絵は正倉院の宝物「金銀鈿荘唐太刀(きんぎんでんそうからたち)」という太刀の鞘に施されている「末金鏤作(まつきんるさく)」という研ぎ出し蒔絵になります。 この品が奈良時代のものということから蒔絵の歴史がはじまったのは奈良時代とされています。


発展をはじめた平安時代

平安時代になると蒔絵はぐんぐん発展をし、貴族社会の流行になり、主に建物や家具、文房具などに装飾されました。 10円玉で有名な平等院鳳凰堂の建物の中にも蒔絵の装飾で仕上げられた部分があります。

平安時代に貝の裏を張る「螺鈿」の技術も生まれました。


鎌倉時代から室町時代にかけて

鎌倉時代には技術も増え、国宝の1つ鶴岡八幡宮の籬菊螺鈿蒔絵硯箱、武器類神宝にも蒔絵は使われています。 この時代の間に武士の間で蒔絵が大流行します。現代に伝わる平蒔絵や高蒔絵、研出蒔絵という歴史も、鎌倉時代から始まりました。


室町時代には、足利義政の周りで蒔絵を施した調度品が多く作られました。高蒔絵と研出蒔絵の2つを合わせ肉合蒔絵などの新しい蒔絵の技法が誕生し、より豪華な蒔絵が施されるようになると、優れた蒔絵師は将軍様のお抱えになりました。


海外とも接触をした桃山時代

桃山時代には西欧に蒔絵が施された調度品がわたります。 この交流により南蛮工芸が生まれ、南蛮蒔絵という新しい技術が生まれます。 そのほかにも豊臣秀吉の愛用品で使用されている平蒔絵の装飾的な一様式も誕生しました。 全体的に豪華なデザインが好まれる時代でした。


一般社会にも普及されるようになった江戸時代

江戸時代には蒔絵の産地が出来上がり、一般社会にも普及していきます。 江戸時代に蒔絵で有名なのは水戸黄門でもおなじみの印籠です。印籠に描く家紋にも巧みな技術が施されています。 貿易も盛んになったことから西欧の貴族にも愛用されました。


明治時代から昭和にかけて

明治時代になると産地ごとで様々な特徴があらわれるようになり、調度品としてしか認識がなかった蒔絵が美術工芸として認められていきます。 博覧会において蒔絵の技術を世界に知らしめた時代でもあります。

現在では「伝統工芸品産業の復興に関する法律」が規定され、伝統工芸品として漆器が認定されました。


平成時代から現在にかけて

平成時代で蒔絵を使ったもので一番有名なのは、1998年に開催された長野冬季オリンピックのメダルです。金メダル、銀メダル、銅メダル合わせて約500個の漆メダルが作られました。


メダルの完成には工程数が30段階あり大変な作業になります。漆器の部分には真鍮板がベースとなり、この真鍮板の上に下塗りと中塗りをした後、蒔絵を施し再び塗を重ね艶を出して作られます。木曽漆器の若手職人18人がメダルの製作に携わりました。


現在は器や家具に蒔絵を施すのが主になっていますが、万年筆やアクセサリーなどにも蒔絵の技術は使われています。

特に珍しいものだと、Zippoや携帯電話、ヘルメットにも使われています。


まとめ

今回は蒔絵の歴史について紹介しました。蒔絵の絵柄や色使いは時代に合わせて変わっていき、その時代の面影が顔をのぞかせています。

現在作られている漆器の蒔絵もとても美しいものばかりです。 漆塗りの上の鮮やかな絵を見ているだけで心がうっとりすると思います。 蒔絵の施されたお気に入りの1品を見つけてゆっくり眺めてみてはいかがでしょうか

bottom of page